過去ログ
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おかあさんへ  淑子 - 2013/12/02(Mon) 09:57 No.4561

おかあさん、今日は80歳のお誕生日おめでとう。
去年は、しゃぶしゃぶでお祝いしたよね。
今年はお母さんがいないのでさみしいよ。
天国で、お父さんお母さんたちとみんなで誕生日会をしてもらってね。
おめでとう。

かいづかしさわ157−3ごう  やまなかゆきこより - 2013/12/26(Thu) 23:51 No.4643

天国へ行ってしまった山中菊枝さんお元気ですか私をおばあちゃんが言ってしまって何誌夕刊があっという間に立ちましたね元気そうな声が聞こえなくなりましたねなぜもっとも早くても直ってほしかったと私は思いました早くたー委員してほしかったなアートーふーと思いながらも思いつつも,でも,がんばって生きたいとおもいますようあれからねたかしくんにねいちどもあ


たかいししちよだくいっちようめ  やまなかゆきこより - 2013/12/26(Thu) 22:19 No.4641

隆君お元気していますか一度もね私の,イトマンスイミングにも来なくて残念としかいえませんようまし時でねなぜおよいでいるところみせてあげたくてもねほんとうにね今度こそ和歌ならずにイトマンスイミングに来てくださいませんか隆君一人できてくださいお待ちしていますので起こしになってくださいねよろしくお願いしますね壱ごろねこれますかれんらくしてくださいね


おおさかふかいづかしさわ  やまなかゆきこより - 2013/12/26(Thu) 21:08 No.4638

山中菊枝さん天国で何していますかあんなに元気だったのにどうしてなくなったのかいまだに信じられません川崎美容院でがんばってほしかったけれどね助からなかったのかな座゛んねんとしか思いませんでしたでも早く元気になってほしいと思いました天国で仲良くしていますか渡し輪ね今寝付き合っているの酔う平口浩二君とずっとねなかがよくてねあそんでいますようまいにちです
Re: おおさかふかいづかしさわ  やまなかゆきこより - 2013/12/26(Thu) 21:23 No.4639

山中憂さ風呂産へ天国和銅ですか山中菊枝さんも寝おじいちゃんの元へ旅立ちました長井間お待たせしましたよかったね何ヶ月ぶりに寝天国にねお手紙書くのが遅くなりごめんねおじいちゃんあの,実話ね今ね渡し輪ねお付き合いしています本当なんですずっとね毎日にねお付き合いしていますようその子のお名前を寝平口浩二君といいます天国からお手紙くださいねおばあちゃんずっと今までかいづかしさわにすんでくださってありがとうございました

ひいおばあちゃん  花恋 - 2013/03/30(Sat) 17:25 No.2333

私はね、おばばに伝えたいことが
いっぱい、いっぱいあるの。
だけど、その中でも3つ言わせてね。
まず、一つ。一番最初に伝えたいことは「ごめんね」
お見舞いにもめんどくさいからって行かない日があった。
冬休みだったから、毎日行くようにしたけど、
行かない日も多少あった。それは、私自身もつらかった。
だけど、もっとおばばの方がつらいってことは分かってた。
・・・・・・つもりだった。
口は開いたまま。呼吸も苦しそう。
そんなおばばを見るのが本当につらかった。
心拍数が18になったのを見たとき
「もう、だめだ」って思った。涙でぐしゃぐしゃだった。
そして、お医者さんが光で左右の目を揺らして。
「ご臨終です。」
私は、おばばが生きてる時もその時がくるのが怖くて
ずっと泣いてたから逝ったときは涙も枯れて
泣けなかった、泣かなかった。
そして、顔に白い布がかぶされて。
やっと、おばばが亡くなったっていうのを理解した。
そしたら、涙が後から後から出てきて止まらなかった。
おばばが亡くなった数日後からポジティブな音楽を聴いた。
・・・全然意味がなかった。
泣きたくなったからバラードを聴いてみた。
涙があふれた。後悔と恐怖が襲ってきた。
おばばのことを愛してたという証になった。
きれいごとかもしれない、ごめんね。

そして二つ目。「ありがとう」
私はおばばにありがとうって言ったことがない。
照れくさくて、恥ずかしくって。言い訳かもしれないけど。
おばばは「ありがとう」って、喋れなくても
無理して言ってくれた。手を握ってたけど、
私より千賀らが強くて痛いくらいだった。
『生きてるんだ』って実感した。だけど、
日に日に力が弱っていって。その時が近いのかなって
思った日も多かった。そして。
2012年1月15日。最後に「あ」と言って、
涙を一粒流して天国に逝った。
49日の間は1日何回もお参りした。
おばばは、お線香のにおいが好きだと言ってた。
必ず、7本線香をあげた。ラッキー7だから。
お手紙を書いて、お坊さんに渡した。
泣きながら書いたのを覚えてる。きっと届いた。

そして、最後に。「さようなら」
こんなとこ、おばばに言いたくなかった。
さよならなんてしたくなかった。
おばばの肌は氷より冷たくて、今でも覚えてる。
でも、いくら願ってもさよならするしかなかった。
棺に花をいっぱい入れた。おばばの顔は微笑んでいた。
少しお化粧したおばばはどんな女優さんよりも綺麗だった。
それて、火葬場。もう、おばばの姿を見ることはなくなる。
本当に最後のお別れだった。
お昼にお弁当が出されていたけど、
全く美味しく感じなかった。
そして、火葬が終わった。すごくすごく熱かった。
こんなに熱いとこで火葬されたなんて、悲しかった。
私は小さい頃のおばばに抱かれてる写真を入れた。
天国で持ってくれてるかわからないけれど。
もう、本当にさよならした。

あれから1年とちょっと。
私は春から中学2年生になる。
後輩も入り、頼られる存在となる。
おばばが悲しまないように、心配しなくていいように。
おばばの分も精一杯、一生懸命、生きる。

ここまで読んで下さった人、ありがとうございました。
あなたの大切なひとのためにも一生懸命生きましょう。

お父さん  よしえ - 2013/11/23(Sat) 05:02 No.4528

子供の友達の家の粗大ごみをうちの庭に一時保管して業者が来るまで何日も置いていて、回収する日は出かけて留守に。足の悪いお母さんが庭まで出て業者の相手したんだって。
何で他人の家のゴミうちに保管するわけ?
こんなに嫁に好き勝手されても文句すら言えないお母さん。
息子の家に居候って言うけど、あの家はおじいちゃんが建てた家だし、お父さんが元気ならお父さんの名義になっていた家
息子の家じゃなくてお母さんの家だよ
でも、お母さんはお父さんが死んだ時点で娘の私には『あなたにはもう実家はない』って。
23歳で私は実家なくなったんだ?
友達は実家、実家言ってるし60半ばの職場の人でさえ実家、実家言ってるの聞くと苦しいよ。
ねぇ、お父さん。
お父さんじゃなくて私が逝ってればみんなもっと幸せだったんじゃない?
私が存在している意味あるかな?

お父さん  よしえ - 2013/11/23(Sat) 04:56 No.4527

とうとう鴨川を売る日が近づいてきちゃったよ
売れたらお兄ちゃんにお金沢山あげるんだって
同じ子供なのに跡継ぎってだけで土地や建物もお兄ちゃんだし
お母さん名義の鴨川売れたお金もお兄ちゃんに
私は相続もさせてもらえず鴨川のお金さえお兄ちゃんより大幅に減らされなきゃいけないんだって
私、お母さんの本当の子供なのかな?
お母さんが貰ったものを年に1、2回、私が欲しいって言ったら芳枝さんの許可なきゃダメって言われるし。
普段はお兄ちゃん家族ばかりに渡してて私にくれないからたまに欲しいって勇気出して言っても全て芳枝さんに確認するんだよね。
果物、タオル、缶詰1つから相続、金銭的援助、全て私には冷たいんだよ
車乗り回しガソリン代はお母さんも払ってる生活費から
夕飯のおかずは自分達だけちゃんとおかず用意してお母さんには味噌汁一杯や納豆だけ
入学祝あげてもお礼も言わない芳枝さん。
もちろんお返しなんてないし。
何様なんだろう。


a  - 2013/06/03(Mon) 15:40 No.2463



こんにちは

去年より11日早い梅雨入りだそうです。
そっちに行ってから、本は何冊読みましたか?
ミルクティーは何杯飲みましたか?
パスタはどんなやつを食べましたか?

たまにふと、会いたくなります。
アルバイトはまだ続けています。
学校もまだ行っています。
少し太りました。

来年からは社会人なので、
そろそろ本気で痩せないといけないと
内心、焦ったりします。

君のお母さんから
残りの大学生活、就職活動
頑張ってください、と言われました。

もう単位とるだけです。
容易くはないのですが
頑張ってます。

就職先は決まりました。
スーパーで、ここら辺には
あんまり、見かけることはありません。

ですから
もしかしたら、花、置きにいけないかもしれません。
できれば行きたいのだけれど。


でも

行けなくても
君のこと忘れる毎日が多くなっても

いつかは会えると
21歳の僕は信じてる。

そう信じて一応不器用に
人に優しくしたり、されたり
怒ったり怒られたりしながら

歩いて行こうと思っています。


またいつか。
すぐ会いに来ても、
当分会いに来なくても
たぶん元気にやってます。

では(^O^)





お父さん  よしえ - 2013/11/23(Sat) 05:05 No.4529

ちっとも実家じゃない、口先だけの実家っていう場所に年に数回たまに顔出すとあまりにもお兄ちゃん家族に尽くしてるお母さん見ると胸が苦しくなって虚しくなって孤独を感じて辛い思いするだけだから徒歩2分の実家さえ年に数回だけ行くのがやっとになったよ。
自宅から見える実家だけど凄く距離を感じる場所。
くつろぐことなんてできない。
逆に息苦しい場所。

唯一、鴨川に来ると実家って感じがして、お父さんの温もりも感じられて落ち着けた場所
でも、もう私がゆっくりできる場所はないんだね。


お父さん、寂しいよ。

じいちゃん  さきんこ - 2013/11/17(Sun) 00:35 No.4486

じいちゃんっ!
あのさ、友達ってなんなのかな。この頃、わからんごとなってきた。やっぱかんがえすぎとかな?友達のね、自分がおるぎなんか騒いだいしんしゃれんさっ!だけん、おらんがよかとかなあて思ってそこのグループから抜けたと。
でも、だいもそがんこと思っとるて知らんやん?そいに、そのグループの誰一人として誘ってくれる人もおらんやったさ。だけん、こいでよかとかなあて思って、悲しくなった。
小学校の頃、あがんも毎日楽しくて結構盛り上げ役で上の人やった(笑)けど!今では自分から話すこととかほぼなくなった(-ω-)じいちゃん?もうどがんすればよかとやろうか。
福祉の人もなんか心配、(*´Д`)ハァやっぱ鹿実の方が楽しかったかなあ。〇〇〇ちゃんもおったし、こがんこと考えるぎんた涙の溢れ出てくると。これから、やっていけるかなあ…
たすけて
もう、今のまんまじゃ嫌だ

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