生命の手記
栃木県 楠野咲子

 平成13年4月7日午前8時20分、悪夢は平和な家庭に突然襲ってきました。一時停止を怠り直近で右折して来た産廃用10トンの大型トラックに敦司は殺されました。
遺品の靴  敦司のバイクは、トラックの左後輪に踏まれて分断、粉砕され爆発炎上しました。即死でした。敦司は病院にも搬送されず、現場検証のため路上に2時間以上も放置されました。
 生前、「結婚しても親と同居して親の面倒をみてやる」と言っていました。そこで、私たち家族は、そうした将来を考えて敦司夫婦が住めるように新しい家を建てる事を考え、新築に際しては、私と淳司が中心となって家の間取りを考え、2階に敦司夫婦が住めるように工夫しました。私は、未だに敦司の部屋に手をつけることが出来ず、生前のままの状態となっています。 敦司に会えない時間が長くなれば長いほど、会いたくて、会いたくてたまらない気持ちになります。
 敦司がいなくなったので、洗濯物の量がとても少なくなってしまいました。私が作った食事を「おいしい、おいしい」と言って食べてくれる人もいなくなってしまいました。敦司の好きだった料理を思いだすと、とても悲しくなり、あの時以来、それらを作る事が出来なくなりました。
 精神的なショックから、車を運転することが出来なくなってしまいました。どういう訳か、運転していると、目的地の場所や道順が分からなくなってしまうのです。
 敦司は生前、結婚相手の女性がいました。私は、そうした敦司の交際相手のことを知っていただけに、敦司に普通の家庭を持たせてやれなくて、子供を持たせてやれなくて、本当に可哀想だったなとの思いが募ります。
 敦司は、結婚後も私達夫婦と同居すると言っていましたので、敦司の結婚や敦司の子ども、つまり私たちの孫の顔を見ることは私たち夫婦にとっても本当に楽しみであり、生き甲斐にもなっていたのです。
 敦司は本当に良い子でした。私は、生前から、敦司がこんなに良い子に育ったことを誇りに思っていました。
 敦司は、生命のメッセンジャーとして生命のメッセージ展に参加しています。皆さん、会場にお越しくださり、ぜひ敦司に会ってください。



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