生命の手記
秋田県 三浦芳子

 01年4月20日の朝、「行ってきま〜す」「気をつけてね」と言葉をかけ合ったのに、もう「ただいまあ〜」の声を聞くことは出来ません。
 娘(芳代子)は大学からの帰宅途中、自転車に乗って青信号の横断歩道を渡っていたところ、10トントラックのわき見運転手によって命を奪われてしまいました。
 病院のベットで、まるで寝ているような娘の顔を見た私は、今も娘の死を認めたくないと必死に抵抗しています。
 大学3年生、20歳、人生これからという時に奪われた命はあまりにも無念でなりません。娘と共に歩んできた私たち家族の20年とこの先の未来のすべてを否定されたような、背負いきれないほど大きな悲しみを抱えてしまいました。
 娘は、大学の仲間たちに囲まれ充実した学生生活を送っていました。真面目な性格で、地に足をつけて将来に向けて一生懸命に生きてきました。まだ子どもだと思う事もありますが、いつのまにか大人っぽく変身して成長のあとが見えていました。これまで培ってきたその努力は、この先の未来につながっていくだろう事は疑いもしませんでした。
 ボランティアで不登校の子ども達と接して「子供の気持ちってむずかしい!」と言っては悩み、将来の仕事として、司書になる事も選択肢に入れていた娘は、図書館でアルバイトをし、「結構いいかも」と言って満足げに話していました。
 家族の中でも、娘と私は特に気が合い会話を楽しむ毎日でした。娘を囲んでの楽しい時間は山ほどあったのに・・・。この先を楽しみにしていたのに・・・。大事な娘の命も、ごく平凡な日常の幸せももう取り戻す事は出来ません。
遺品の靴  私たち家族は、これまでは事故を起こさないように気をつけ、加害者にならないようにと注意し合っていました。しかし今は、また家族が犠牲になるのではないかとそればかりを心配するようになりました。ルール無視の加害者による犠牲者があまりにも多い現状を知ったからです。
 絶望の時間だけが過ぎていき、悲しみを語り合える相手も無く、いつの間にかひきこもりがちな日々を過ごしていた私ですが、やっと少し前に進めるようになったのは、「生命のメッセージ展」に参加した事がきっかけでした。昨年11月に開催された秋田市では、その開催準備に関わる事で再び外とのつながりがもてるようになったのです。娘と私の居場所となり癒しの場にもなっております。
 社会の皆様には、無念のまま逝った犠牲者たちのメッセージを、ぜひ心に留めて頂きたいと願っております。



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