>>>>>>>>ご挨拶<<<<<<<<


「生命のメッセージ」展に向けて

>>>>>生命の重さ<<<<<

「世の中で、一番大切なものって?」

 この質問に、多くの人が「人の生命(いのち)」と答えるだろう。

「最も残酷で許せないことは?」

 それは、人がその人生をまっとうすることなく、人の手で暴力的に生命を断ち切ることではないだろうか。

 人生をまっとうすることなく、人の手で暴力的に生命が断ち切られる悲劇…。

 先ず私たちの頭に浮かぶのは戦争であろう。かつて私たちの国は国家拡大を目指し、大戦を引き起こした。第二次世界大戦後に制定された日本国憲法は「戦争放棄」を謳った世界に類を見ない平和憲法と評価され、私たちの国は、世界一治安の良い国とうらやまれる。しかし、平和であるはずのこの国は、今まさに「交通戦争」のただ中にあるのだ。私たちの生活を豊かにする車は、愚かな使い手により凶器と化し、年間約1万人がその「凶器」に生命を奪われている。一番大切なものが、日常茶飯事のように奪われているのだ。

 交通犯罪だけではない。強盗殺人、通り魔による無差別殺人、ストーカー殺人、暴徒化した若者のリンチ殺人、、。私利私欲を満たすための罪は、戦争と何ら変わりはない。

 生命は取りとめたものの、人生の光りを失った被害者は数知れない。職場や学校で執拗に存在を否定され死を選んだ人、過酷な労働に生命をすり減らす人々。失われた生命を思う時、一見平和に見える現代社会に潜む混沌に、戦慄を覚えずにはいられない。

 しかし、悲劇はくり返されている。

 残酷で許せない事件の衝撃は、月日とともに薄れ、またひとり、またひとり新たな事件で生命が奪われていく。犠牲者は忘却の彼方に葬られ、数字というデータの中に埋没させられてしまうのだ。

 「忘却」は神の恩寵であることは確かだが、尊い生命を奪われた犠牲者たちを忘れることは、彼らの死から学ぶという貴重な権利を放棄することではないだろうか。彼らの死、そして確実に存在していた尊い生命をけして無駄にしたくない。彼らが生命を賭けたメッセージは「生命の重み」。

 彼らひとりひとりに家族があり、友人があり、未来があり、夢があり、人生があった。数字に埋没させられた生命ひとつひとつの素顔に想いを馳せ、安らかな冥福を祈ろうではないか。

 交通犯罪はじめ多くの犯罪が、文明社会の慢性病とあきらめてはならない。彼らを想い、犯罪を憎み、「生命の重み」を再確認する契機としよう。過去を振り返り反省すれば、悲劇は減るはずだ。そうでなくてはならない。

 

 彼ら犠牲者は生命を賭けて、私たちを悲劇のない真の平和へ導いている。

 彼らの「生命のメッセージ」を、未来の生命へつなげていきたい。



>>>>>「生命のメッセージ」展に向けて<<<<<

同実行委員会

 人が暴力的に生命を奪われることなく、せいいっぱい生きることができる社会を夢見ています。戦争はない、殺戮はない、犯罪はない、被害者は生まれない世界。人は自然の摂理で生まれ、老い、自然に死んでいく。こんな当たり前のことを『夢』と語るのが悲しくもあります。

 しかし現実には、多くの生命が犯罪で生命を断ち切られています。ひとつとして忘れることのできる命はありません。私たちは、彼らの生きた証をたどり、大いに泣き、笑い、語りませんか。過去にしがみつくのとは違います。亡くなった生命が教えてくれることを探すのです。

 思い出をたどれば、心の傷に触れるでしょう。しかし、私たちは逃げることなく現実と対峙しようと決心しました。

 ある宗教は「罪人を許しなさい」と説いています。しかし、許してはいけない罪はあります。なぜ許してはいけないのか? それは 罪が重ねられないように願うからです。生命の重さを考えると同時に、あってはならない罪を心に刻み、多くに伝えたいと思います。私たちの目的は報復ではなく、尊い生命が守られる『夢の世界』への前進なのですから。

 メインの展示は、ひとりひとりの等身大の人型と彼らの遺品の『靴』。靴は彼らの足跡=生きた証しの象徴です。人型にはひとりひとりの素顔やメッセージを添えます。多くの人々が現実を知り、生命の重さを考えてもらうために、日本全国〜世界各地へと拡げていきたいと願っています。「生命のメッセージ」展は、理不尽に生命を失った者へのレクイエムであり、私たちの反省であり、夢への道しるべです。

 彼らはひと足先にもうひとつの『夢の世界』の門をくぐり穏やかに遊んでいることでしょう。私たちは「生命のメッセージ展」の空間に、そんなイメージをこめています。


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生命のメッセージ展